録音現場を知る ― 2chステレオの限界と音楽再生の本質
2本のスピーカー(2chステレオ)で音楽を聴く以上、原音をそのまま再現することは不可能です。
これは理屈の話であり、議論の余地はほとんどありません。
それにもかかわらず、レコードやCDといった音楽ソフトは、100年以上にわたって売れ続けてきたのはなぜでしょうか。
ステレオが登場した当初、人々は「音が左右に分かれて聴こえる」こと自体に強烈な衝撃を受けました。
音楽ファン、オーディオファンはその体験に魅了され、レコードを買い求めたのです。
そして録音・制作側は、その驚きをさらに増幅させるための手法を次々と編み出していきました。
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ポップス録音が作り上げた“気持ちの良い音”
ポップス音楽では、エコーやディレイを積極的に加え、聴感上「気持ちの良い」サウンドを作り込みます。
楽器は別々に録音され、電気的にミックスされ、いわゆるカラオケトラックが作られます。
その後、小さなブースでボーカルを1本のマイクで録音し、最終的にミックスされた音源(完パケ)が完成します。
こうして作られたサウンドは、ライブ会場で聴く生の音よりもはるかにクリアで、細部まで見通しの良いものになります。
結果として、それは多くの人に支持され、ミリオンセラーを生み出してきました。
ここでは「原音再現」よりも、「商品として魅力的な音」が明確に優先されているのです。
ジャズとミキシングエンジニアの時代
ジャズにおいても事情は同様です。
録音・ミキシングの工夫によって名盤が生まれ、それが高く評価されてきました。
この時代、音作りの中心にいたのは演奏家だけではなく、ミキシングエンジニアでした。
一時期、彼らはオーディオ好きの若者にとって憧れの存在でもあったのです。
クラシック録音とDECCAの思想
一方、クラシック音楽の世界では、建前として「原音再現」が強く掲げられてきましたし、多くのオーディオ評論家もそれを支持していました。
その中で、最も先進的だったのが英国DECCAです。
DECCAは、単にコンサートを記録するのではなく、「それらしく聴こえる音」を超えたサウンドを目指しました。
その前提として、まず録音に適したホールの徹底的なリサーチが行われました。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで有名なムジーク・フェラインザールは、響きは素晴らしいものの、録音のために座席を撤去したり、多数のマイクを立てたりすることはできません。
そこでDECCAがたどり着いたのが、古い舞踏会場であるゾフィエンザールでした。
ここには適度な空間があり、オーケストラ、ソリスト、コーラスを無理なく配置することができました。
このプロジェクトを強力に推し進めたのが、プロデューサーのジョン・カルショウです。
ゾフィエンザールでの録音では、20本ものマイクが使用され、それらを2人のミキサーが操作し、カルショウが細かく指示を出していました。
その結果得られたサウンドは、実際のコンサートでは決して聴けないほど、細部まで明瞭で、近接感のあるものでした。
たとえば、今なお名盤として語り継がれるワーグナー《ニーベルングの指環》では、その凄まじい音響をはっきりと聴き取ることができます。
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コンサート体験とオーディオ体験の違い
私自身、学生時代にはよくコンサートに足を運びました。
しかし正直に言えば、必ずしも良いサウンド体験ばかりではありませんでした。
ホールの響きや演奏内容を含め、満足できないことも多かったのです。
その一方で、自宅のオーディオ装置で聴くDECCAのレコードのほうが、はるかに上質なサウンドだと感じることがありました。
その後、サントリーホールをはじめ、日本にも優れたホールが次々と誕生しました。
池袋の東京芸術劇場、ミューザ川崎、オペラシティホールなどで演奏を聴く機会も増えました。
それでもやはり、コンサートの音と2chステレオ再生の音は別物です。
それぞれに楽しみ方はありますが、同一のものとして比較するべきではありません。
ある時、ミューザ川崎で聴いた演奏に大きな失望を覚え、「レコードで聴いたほうが良かった」と感じたことで、その考えはいっそう確信に変わりました。
2chステレオ方式の限界と割り切り
2chステレオ再生では、左右のスピーカーから放射された音がリスニングルーム内に広がります。
ヘッドホン再生と異なり、左右の音は空間で混ざり合います。
一般的なスピーカー配置(間隔約2m)では、左右のセパレーションはせいぜい10dB程度です。
このため、アンプのL/Rセパレーション性能(クロストーク)に過度に神経質になる必要はありません。
特にアナログレコードでは、ヘッドホンで聴いてもセパレーションは25dB程度が限界です。
本当に現音場の再現を目指すのであれば、人工耳によるバイノーラル録音という方法もあります。
しかしこれはあまりに特殊で、一般性やビジネス性を欠いてしまいます。
また、ポップスのボーカルは1本のマイクで録音され、それを2本のスピーカーでセンター定位(ファントム定位)として再生しています。
これも厳密には不自然な方法です。
映画音響ではセンタースピーカーが不可欠であり、ステレオ黎明期にはL/C/Rの3ch録音が行われていた時代もありました。
理屈を突き詰めれば、少なくとも5.1ch以上のマルチチャンネル再生が必要になります。
しかし、スピーカーの設置や運用の煩雑さから、一般家庭では現実的とは言えません。
かつて4chステレオが普及しなかった理由も、突き詰めれば設置性の問題でした。
結果として、2chステレオ方式が現在も主流であり続けているのです。
江川三郎氏の視点
この問題を早くから指摘していた評論家が、故・江川三郎氏です。
江川氏は「逆オルソン方式」と名付け、リスナーの正面から左右スピーカーの中央まで板で仕切ることで、実質的なセパレーションを高める試みを提案しました。
非常に本質を突いた発想でしたが、見た目の問題もあり、広く受け入れられることはありませんでした。
それでも、江川氏が2chステレオの限界を正確に理解していたことは間違いありません。
近年では、NHK技研が「本格的な音場再現には20ch以上が必要」と述べています。
技術的には正論ですが、現実的な趣味の世界とは別次元の話でもあります。
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割り切りこそがオーディオを楽しむ鍵
2chステレオには明確な限界があります。
しかし、その限界を理解し、割り切ったうえで楽しむからこそ、オーディオは長く続く趣味になります。
コンサートサウンドとオーディオサウンドは別物であり、目指す方向も異なります。
その違いを知ったうえで音楽を聴くことが、最も健全なオーディオの楽しみ方ではないでしょうか。

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